暮らしの余白

何もない瞬間を大切に。 居心地良く暮らすためのブログ

常識、普通、当たり前だと思っていることは、一度疑ってみた方がいい

こんにちは、ひろゆきです。

常識とか普通って何でしょうね、そんなお話です。

常識、普通は絶対普遍のものではない

これが常識だからとか、普通だったらやらないとか
なぜだか分からないけど決め付けていることって
いろいろありますよね。


世の中に広くある一般常識、会社内で通用すること
家庭でやっていること、昔からのしきたり
本当に考えるといろいろあります。

 

たとえば、ぼくは結婚して妻の姓を選択しました。
というと必ず妻の家に入ったのか聞かれますが、妻の姓を選択しただけで
それ以上のことは何もありません。


結婚すると男の姓にする割合が今の世の中9割近くのようですが
現在の民法では夫婦同姓にすることしか強制されていません。
家に入る、というのも明治時代の家制度が発端で
戦後に改正された民法では家制度自体が廃止されています。

 

世界に目を向ければ、夫婦別姓の国など様々だし
日本でも明治時代以前は別姓が基本でした。

 

ここで言いたいのは、夫婦別姓にすべき、妻の姓を選択すべき、

では決してありません。
今自分がいる時代、社会で一般的なことだからといって
それが絶対ではない、ということです。

拠り所のないものを判断基準にする危うさ

選ぶのは悪いことではありませんし、
自分が納得していれば何の問題もありません。
ただ、大多数が従っているから、昔からそうだから
今までうまくいっていたから、ということを
判断基準にする時、そこには自分がいません。

 

誰かが決めたこと、世の中の空気は何かがあっても責任を持ちません。
そういうことに従っていると次第に、自分の人生ではなくなり
社会が決めた枠組みというレールに乗ってしまいます。

 

自分に素直になるために

それで満足という場合はいいですが、
そんなの嫌だと思ったら何とかしないといけません。

 

ただ、自分でも気付かない内にそうなっている場合が多々あるので
そこから脱出するために、まずは当たり前と思っていることを

書き出してみましょう。

そして、それぞれについて根拠を調べてみます。
何を当たり前としているか知る頃には
普遍や常識に惑わされない目が養われているはずです。

 

そうして固定観念を外してから改めて
自分はどう日々過ごしたいかを考えてみます。
そうするといかに普通や常識に捕らわれていたかがよく分かります。

 

まっさらな状態での自分の理想を、全て思い通り現実にできるとは限りません。
けど余計なフィルターを取り除いて
自分の本当のところを知るだけでも十分価値はあります。

 

常識を疑ってみませんか?