暮らしの余白

何もない瞬間を大切に。 居心地良く暮らすためのブログ

○○だから、というのはやらない言い訳でしかない

こんにちは、ひろゆきです。

やらなくて後悔するよりやって後悔してこそ自分の人生、というお話です。


身の回りにある環境、制約、条件っていろいろありますよね。

家族、仕事の内容、労働時間、住んでいる場所
できること、苦手なこと、
果ては身長、体重、声の高さ低さなどなど

考えれば数え切れないです。

それらは時に、自分ができない言い訳にしたりします。
できない理由として他人に使われる場合もあります。

うまくいかなかった時は、
だから言ったじゃないかと笑い者にされたり
やらなきゃ良かったと後悔したりします。
だからやらないし、動かない。

ただ、そうやって理由をつけているのは
自分で動かない言い訳でしかない。
いくら環境で制限されようが
信じていれば動くべきだし
全ては自分の心次第でどうにでもなります。


判断基準を外に作ると、外に原因を求める




大学二年の時、放浪の旅に出たくて大学を辞めたくなりました。
親に言ったら当然反対され結局卒業まで過ごすことに。

今思えば若気の至りでした。
でも自分が納得せず親に言われたから、
という理由で大学を辞めなかったことで、
あの時こう言ったじゃないかと少からず親に対して思いました。

こうなると、責任を取る人が誰もいません。
親は、そんなの今やめるなんて絶対良くないと言うだけ
自分はそれに従っただけ
自分で出した結論でないので自然と外に原因を求めます。

例に出したのは大学を辞める話でしたが
日常でもたくさんあると思います。
あの人はこういう性格だから言わない
どうせやっても反対されるから無難なことをしておこう
家庭もあるし仕事なんてやめられない、などなど。

それらは社会で生きる上での潤滑油かもしれません。
ただ、それが染み付いてしまうといつの間にか
自分が自分の中心にいなくなります。


信じるものがあれば環境なんて
取るに足らないもの



ただ、環境のせいにして動かないのは一理あります。
それまでとは違ったことをするわけで
ある程度リスクはありますし
違う度合いが大きいほどリスクは大きくなります。

整備士から整体師へ転職した時は
結婚もしているし、賃貸とは言え住居もありました。
けれど、その時の信念に従い
他より安定した大企業の身分、それまで積み重ねてきた経験を捨て
環境を大きく変えたわけです。

結果自分のこうしたいという思いとは違いました。
収入も下がり、こうやって人生過ごしたいという
自分の思いとも異なりました。
ただ、動かなければ絶対分かりませんでした。
転職しなければ良かったと後悔はしていませんし
むしろより自分はこうなりたいんだなというのに
近付けて良かったです。

自分で判断し、行動し、骨身に染みて理解するには
環境に惑わされて二の足を踏まずに
環境なんて変えていくことが必要です。


変えていく勇気を持つ



できない理由なんていくらでも見つかります。
そういうのに自分を委ねた時
自分の人生は終わります。
何かあっても環境のせいにしたり、あの人がこう言ったから
など理由を外に求め始めます。

自分が信じたことに対しては、
それまでの環境を変えていくような意識でやるべきです。
別に失敗してもいいし、もっと言うと失敗も成功も関係ない。
失敗した、成功した、という出来事があるだけです。

自分の心で動くことでしか得られないことはたくさんあります。
○○だから、と理由を作っていませんか?
本心から出たものなら素直に従ってみましょう。
きっと人生変わります。